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崔サク (北魏)[さい さく]
崔賾(さい さく、? - 440年頃)は、中国の北魏の人物。字は泰沖。本貫は清河郡東武城県。 == 経歴 == 崔逞の末子として生まれた。はじめ太子洗馬となった。後に散騎常侍の位を受け、清河侯に封じられた。崔賾の兄の崔諲が南朝宋の冀州刺史となると、太武帝は「劉義隆がそなたの兄を任用したというなら、わたしがそなたを冀州としないことがあろうか」と言って、崔賾を平東将軍・冀州刺史に任じた。大鴻臚となり、433年(延和2年)に楊難当を南秦王に封じる使者として立った。436年(太延2年)、楊難当が上邽を占拠すると、楽平王拓跋丕が上邽を攻撃するのに先だって、崔賾は楊難当に対する説得に当たった。後に方士の韋文秀とともに王屋山に訪れて金丹を作ったが、成功しなかった。太平真君初年に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「崔サク (北魏)」の詳細全文を読む
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